お城巡りの旅 1日目

0:00 堺市 出発

3:10 大垣城 到着 仮眠 外気温 4℃ 車内で エンジン切って寝てたから寒くて

5:00 起きた

5:30~6:10 大垣城 戸田氏鉄の銅像があった。               

表には商店街が隣接していて、老舗ホテルの正面玄関みたいやった ^_^               

朝早すぎて開いてないわな。入らなかった。               

朝焼けに照らされた櫓や漆喰の壁?コンクリ?綺麗やった。                門の内側にある一本梁の大木はなかなかでしたね。               

え! 大垣城 日本100名城に載ってないやん!しっかりときれかったけどなぁ。

6:30~6:50 墨俣一夜城 

周囲にある合流する川が近代的に整備されていてちょっとお城って感じが 薄れたかな。

城内敷地には瓢箪を絵馬に見立てて?願い事を書いたものが 結構つるしてあったね。ここも時間早すぎて入らず入城はパス。

7:50~9:35 岐阜城 

いや~! きつかった~!!  金華山 なめてた・・・  調子こいて最短ル-トで登頂しようと意気込んで登ったらえらい目にあったわ。               

ロープウェー(往復1080円)もあるんやけど、あえて自力で登ろうと

コースは2通り 「めい想の小径」 2300 m 比較的緩やか  

         「馬の背登山道」 1100 m (体力に自信なない方は遠慮ください)   との事で、よっしゃ~!! って一人で気合入れたのに、えらい事なった。ほぼ崖やん! マジの登山やん。そもそもそんな格好してなかった・・・

途中兄ちゃんが「おえ~!」って(えずき)ながらよろよろで登ってたわ。

俺も途中すれ違う人に「もうここで半分来てます?」とか5回くらい聞いたか・・

登山って清々しくて、すれ違う人皆に挨拶と声掛けするから楽しかった。

本間に昔の人ここ登ったん?

下の公園も綺麗でここは本当に来たほうがいい。楽しい。

帰りは岐阜マラソンしてて、金華山のトンネル通行止めなってた。

10:40~11:40 犬山城 ついに国宝現存天守

入城したかったけど、やっぱり1時間待ち・・・次急ぐから入城せず・・・

犬山城の遊覧船が出てたよ!(大人500円やて!安!)

20人チョイ乗ってたんちゃうかな。川の流れもめちゃくちゃ穏やかやし。

あと、城下町もしっかり風韻気出してて、今度はゆっくり来たいな。

「犬山遊園駅」より、次の「犬山駅」からの方が城下町から城へ続いてるからいいかもね。

近くに「明治村」ってあったんやね。(1700円)

12:10~13:10 小牧城 

かつて信長の城 のちに家康が小牧長久手の戦いで使用したとさ。

アピタ前にあり、アピタで昼飯を済ませてそのまま見に行きました。

最初「え!ここって城郭無かったっけ・・・」と思った。

公園の木々が生い茂り、背伸びしても見えんわなぁ・・・

とにかく上がってみようと歩いてたら、あった!!

城の門口には忍者さんが立ってて案内してたみたい。

ここも小山の上のお寺に見えたかな。入城せず小山を降りました。

13:30~13:50 清州城 外観はとても綺麗! 

造りが立派で下の小庭も丁寧ですね。

正面から伸びた朱色の橋も風韻気出てて良かった。

駐車場も12台くらいは公園でただやね。

14:25~15:15 名古屋城 天下の名古屋城! デカい!広い!

周りの公園に路駐したけど、とにかく路駐無法地帯!                   びっくりしたけどええの~  って感じか。桜が終わって 「藤」がきれかったね。

16:40~17:15 岡崎城 家康の生誕の地 三河支配の拠点 石垣めぐり

前本田から後本田が城主を務め 幕末まで存続したと

今も残る石垣が 時代によって 色んな味を出してるね

本田忠勝の銅像あったんや~!見落としてた・・・ 鎧 かっこいいよね!

ちょっと写真撮りたかった・・・

土塁もしっかり残り、庭園も綺麗。お城も綺麗で、でっ~かい灯篭あった。

つつじ?白とピンクの綺麗な花が咲いてたね。

18:30~18:45 吉田城 

豊川と、朝倉川のほとりのお城急いで廻ってきたけど、ここに来たのもう暗くなってた・・・

誰もいてなかったから足早にまわった。

大きな公園と隣接してて、堀や石垣も綺麗で良かったです。                 池田輝政やって!あの姫路城も改修した。

小上がりで川の際まで展望できます。

以上 初日は 9 城 廻りました 

足早に廻ったので、感覚やパッと見だけの感想です。

地域の方やファンの方  保存協会や 自治会の方に 随分と失礼な 文も 

あるかと存じますが、 幾分 素人 ですので ご理解いただけたら幸いです。

お城めぐりから 帰ってきた!

もう 帰って来てしまった!!! 2日間で 14 の城をまわってきましたよ!! 予定では 5泊で 20城 だったんですが・・・・・ 関東の込み具合と 何よりも天気が悪い!! 小田原城 散策のあと、「天然温泉コロナの湯」で風呂上りにご飯を食べながら 悩みに悩んだ結果・・・・断念しました。 次は頑張って平日来るぞ~!! ってことで、自分に言い聞かせて帰路につきました。 小田原から日光まで下道で 5 時間 かかる。 結構な雨が降ってる・・    逆に雨やから すいてるんかもなぁ 写真すら撮りにくいやろうしなぁ 大阪の実家には鹿児島から親戚が来るらしい 親からの SOS 3日には 大阪に居なくてはいけない。日は伸ばせれない。 仕方がない。 てなわけで 帰ることにしました。  嫁に 報告すると 「挫折したの?」 やって・・・・違うよ 次の目標に 大事にとっておく   「日光東照宮」 と 「江戸村」 お城一気に廻りすぎると 感覚がおかしくなるね。 「大阪城 は 見飽きて何とも思わない」 って言う思いが、変わってしまった。 時間ある日に すぐ散策したくなった。不思議なもんで。 現存の 天守 白鷺城(姫路城)見たら 圧倒されたけど、 大きさや堀の広さ、 石垣 等々合わせると、また大阪城見に行きたくなったね。 近くで 幸せ。

あと 3日 となりました

さて続きの ⑥清州城 三谷幸喜監督の「清須会議」見ました? ほのぼのして面白かった~!! 長野県松代で撮られたんですってね! 今の清州城は模擬天守ですから、残念ながらそちらでは撮影されていないみたいやね・・・ 中は展示場か。 信長は10年間も清州を本城としたんやね。ここで天下取りを企んでたんやな~ 織田⇒秀次⇒福島  凄い城主やな~ 名古屋城の櫓も清須移転で作られてるところもあるんやてな~(清須櫓) 清州の天守から 名古屋城も見えるらしいやん! 天守から見た  ⑦ 名古屋城 まず大阪人として知ってることは、「金のシャチホコ」  建屋の敷地面積は日本一 最近改修が終わった。かな? どうなんやろ・・・大坂城より立派ちゃうん・・・建屋は 櫓 3 棟  門 3 つ   が重要文化財やねんな いやしかし、写真とかで見たらでかいな~  綺麗や 織田信長 誕生の城やて! 「尾張名古屋は城で持つ!」 ってすごいよな~   昔からでかかったんや。

さ~て!城めぐりまであと4日となりました!

さてもさても、待ち遠しいんやけど、ほんまに回れるか心配・・・・ 日本全国の城郭!時間を気にせず回りたいね。

まずは ① 大垣城

牛屋川を外堀の代わりに利用し本丸と二の丸のみやったみたいやね。 氏家氏、伊藤氏によって改築か。あんまり知らない人たちや。 へぇ~  池田恒興も城主やってたんやね。 池田輝政は恒興の息子か・・・なるほど 第二次大戦前に一度国宝になってるんやね。 でも大戦で焼けてしまったんや・・・・現代まで残るって本当に大変な事なんやね。 今現在、消失前の外観に近いものになってるらしいやん。 2017年 続日本100名城に選出された。 火縄銃や槍、弓を実際に触れるんやて!!

続いて  ② 墨俣一夜城  (すのまた)

秀吉が一夜にして築いたとされる伝説の出世城! 木下藤吉郎が蜂須賀小六らと共に長良川を巧みに利用し、木曾で仕入れた材木をその場で組み立て、舟を使って川を運び、3日間ほどで建てたと言う逸話もあるらしい。

さて ③ 岐阜城 稲葉山城  

ここは本当に行っておきたいお城だね。 斉藤道三  信長  また信長はなんでここを天下統一の拠点としようと思ったのか。そこからの景色を見てみたい。 何で尾張じゃなくてここなん?って思うね。  行ってみたら・・・思う事あるんやろか・・・ 初めは城下を「岐阜」としたんやね。で、岐阜城か。 「岐」は分かれ道  「阜」は丘・岡の意味  信長は中国の「岐山」と言う縁起のいい文字から取ったみたいやね。 金華山一帯は平成23年に国史跡に指定。城は昭和31年に復興か。 城からは、眼下に鵜飼で有名な長良川、東には恵那山、木曾御岳山、北には乗鞍、日本アルプス 西には伊吹、養老、鈴鹿    南には濃尾の大平野  伊勢湾まで見えるらしい!

さあ 続いて ④犬山城  国宝!

現存する日本最古の様式  城下町の古い町並み  中山道と木曾街道に通じる 池田恒興  成瀬家が幕末まで  明治4年天守以外取り壊し  明治24年濃尾大地震で半壊 昭和10年国宝に指定  昭和27年 再指定  唯一の個人所有の城だったが、平成16年財団法人所有に

外観復興天守—-文献・絵図・絵画資料・古写真を元に外観を復元したもの

復興天守—-天守は過去に存在し、同じ場所に現存する城を参考に、または想像して建てられたもの

模擬天守—-存在が確認できない、または特定に至らない状態で建てられたもの

続いて  ⑤小牧城  

織田信長の居城  桜の名所  天守は昭和42年に建ったもの ん?天守閣風?

そこから  ⑥清州城

天才軍師 黒田 官兵衛

天才軍師  59 年の生涯

1546年 兵庫県 播磨に生まれる。(播磨とは)東・中・北・西播磨合わせた地域

21才 光 と結婚

22才 長政が生まれる

31才 秀吉に 姫路城を明け渡す

32才 荒木村重に捕えられ幽閉される

33才 1年ぶりに救出され帰国

35才 鳥取市鳥取城を兵糧攻めで落とす

36才 中国大返しを指示し、山崎の戦いへ

37才 賤ヶ岳の戦い

41才 秀吉より豊前6群を拝領する (福岡県豊前市)

43才 長政に家督を譲る

44才 小田原城 落城

46才 朝鮮出兵

54才 関ヶ原の戦い

59才 京都 伏見 にて死去

現在の姫路城は江戸時代初期に池田輝政により改修されたもの。 秀吉時代の規模は小さかった。それ以前に官兵衛が統治していた頃はさらに小さく、石垣や天守も存在していなかった。 黒田氏の立身の秘密は、商売上手にあったとされる逸話がある。 小寺氏に使える傍ら、広峯神社の加護を受けた「目薬」を売り出し、財を成したとされている。 斉藤道三もしかり、江戸時代の講談等で広まったものだと考える。 鋭い経済感覚を身につけていたのは事実で、豊前の中津城は交通の要衡に築かれている。後に筑前に移った際も 港町として栄えている博多を取り込むような立地に福岡城を築城している。 関ヶ原の戦いの際、主力部隊は長政と共に参陣していた為、九州にいた官兵衛は大友義統との戦いに現状では不利だと判断した。そこで官兵衛は資金を使い軍勢を募集し、3000人以上の浪人を集めることに成功した。 この軍勢を率い石垣原(いしがきばる)で大友軍を撃破することができた。 息子と東軍についていたことから、関ヶ原の戦いの後、黒田家の所領は大幅に加増されることとなった。

信長の野望風雲録だけが好きだった30年

小学生の時から自分の苗字が好きになれなかった。 「 長 (ちょう) 」 って言います。  自己紹介も好きじゃなかった。 すぐに「日本人じゃないやん!」 とはやし立てられるから。 帰って母親に聞いた。「俺らは日本人じゃないの?」 母親は「れっきとした日本人やで!」 と答える。 父親に聞いた。「俺らの先祖は石川県の城主やったんやぞ!穴水城の城主。君主(畠山)が倒れ、その幼子を担ぎ第一老中となったんや。そこから政権を握るために食事に毒を盛ったが、殺すはずのその毒で自分が死んでしまったと言う何ともバカな先祖や!」 と聞いた。小学生ながら、「先祖は城主で地位と権力を持ってたんやなぁ」 な~んてちょっと誇らしかった。 そこからプレイステーションの「信長の野望」にどっぷりはまった。 12歳くらいから今まで、30年もやってきた。新しいのに買い替えることなく、「風雲録」ばっかり。 時間があればまたつけて。長い時でも4時間くらいか。何度やってもまた新しい発見があったり。 日常の生活の中で、登場武将の名前が出てきて、その武将が行った事や、現在まで残る偉業などが紹介されていた ら、「あ~この武将知ってる。あんまりステータス良くなかったけど、そうやったんや~」 なんて考えたり感心したり。 結局は自分も未来に名前を残せたり、何か大きなことが出来たりしたらいいなって思ってた。 今、建築関係の製造業に携わってる。「お城って今でも建てれるんやなぁ」 って思った。 ってゆうか、現代でも建ててる人、結構居てるんやん! って思ったなぁ。 もう気が付けば45歳過ぎた。そろそろほんまに建てに入りたい。 建てるところも下見に行ってきた。 夢は壮大!!  島に  大きな島に  城をまず二つ建てて  城下町も作り そこだけ時代を遡った国を作りたい。 見た目は木造の帆船で上陸し、関所で入国を許可され、その島で生活している人たちと同じ時間を過ごす。 そこには通信機器や最先端機器、時計も時間も無く、あるのは明るい太陽の下でゆっくりと流れる日常生活だけ。 かまどの薪の匂いと、自然の草や木々の匂い。アスファルトもなくコンクリートも無い、若干砂埃が立つような古臭い光 景。 いま日本にある再現された空間は、現代人が仕事やバイトをしに来ている。観光客相手に。 じゃなくて、実際にそこで暮らす。半年、1年経つと何者にも負けやしない生活感も出てくるだろうね。 そう言う生活をしたい人って世の中腐るほど居ると思う。  また、色んな依存症の人、現代症の人、その空間で生活し て行くことで癒されて治癒していくと思う。 関西に作る。  カジノ出来るから。  また依存症増えると思う。家族が悲しむし、本人も治せない。 そんな最後の砦みたいな施設が早くに出来たらいいなと思う。 出来たらずっとそこで生活したいし。  生まれて死ぬまでそこで暮らしていけるなら、現代の物なんて何一つ要らないよ ね。  車の免許も時計も携帯も。下手したらお金も要らないかも。

人生で最初で最後にしたくない城めぐりの旅まであと1週間

さて、夢にまで見たお城巡りの旅が来週に迫りました。 ワクワクが止まりませんね~

盆と正月は嫁さんと子供達と長野県の実家に帰省するので、こんな機会はもう無いでしょう。 5月の二度とない9連休くらいは人生一度しかないのでいつ死んでも良いように城三昧してみたい!! 連休で向かうところはまさに観光地!ごった返すのは明白!近くのパーキングに即座に止めて「チャリんこ」に乗り換えてダッシュです! 折りたたみ自転車買いました

もっと人生に時間とお金の余裕があれば、お城が好きな方と巡り巡りたいものです。 まだまだ人生これから!    そんな気の合う人を探して   旅するぞ~!! あいにく、私の周りには現在お城が好きな人はいません。 年に何度かの家族旅行に、お城が必ず入ります

家族は「またか~」と笑いながらついて来てくれますが

やっぱり「この城ここがこうだね~!」とか、「この地形凄いな~!」とか・・・ 一緒に感動できる人と行きたいものですね。 城下町も好きで、古き良き町並み。    古民家など、朽ち果てていかない様に修繕していってほしいものです。

お城総選挙見ました?

見ましたか?

お城総選挙!!

お城好きには絶対見逃せない企画ですね。 結論からゆうと、結果はわかってましたよね! お城好きなら 最後の最後で、現存天守の最高峰が大坂城に負けるというのは・・・・・ちょっと・・・って感じがしました。 私は大阪育ちで、事あるごとに大阪城でのイベント、花見・集会・講演会・音楽会で入城する機会がありました。 小学生の時、初めて大坂城を訪れたときは本当にドキドキもので、堀のスケールに圧倒されていました。 そこからワクワクしながら本丸へ入ったとき、正直テンションダダ下がったのを覚えています。 中は近代的な資料館ですもんね・・・資料館は敷地内に別で立てて欲しかった。 小学生ながら、「今、日本に残ってるのは全部作りもんなんや~・・・そりゃあ年月経ちすぎやもんな・・・」って。 それから大人になり、初めて姫路城を見に行ったときはこれまたショックで5時間くらいおったと思います。 「本物や!!」  そのスケールはもはや観光地ではなく、何万人という人々が生涯をかけて守り抜いて来たもの だ  という事がひしひしと伝わってきました。 柱一つの大きさ、各通用門の配置であったり、階段ひとつひとつに考えながらあつらえた石であったり。 よくぞ今まで残ってくれた!  奇跡ですね。

30 位  福井県 丸岡城 現存12天守の一つ       

現存天守の中でも日本一古いお城だそうです。瓦は雪や寒さに強い石で出来ている。(一般は土) 外壁が茶色のままでしょ。これが古い証拠だそうです。 とてもきれいなお城で、本丸の入り口は石で出来た綺麗な一本の階段を上って行き 中に入るといきなりほぼ垂直に近い階段がありました。上りやすいようにロープが下がってありました。 年老いたおやじを肩で押し上げながら登りました。

29 位  岐阜城 道三から信長へ       

山のふもとには信長が作った豪華な御殿があったとされる。発掘された礎石からCGもあります。       こんな御殿に泊まってみたいものです。

28 位  広島城 毛利 輝元       

岡山城は行ったのですがまだここは行けてないです・・・楽しみにとっておきます。

27 位  埼玉県 忍 城  成田 氏       

「のぼうの城」ですね。もちろんこれを読んで頂けてる方ならもうご覧になったことでしょう。  上映予定が近づいたころ、震災があり、水責めの映像が不謹慎であった為、ちょっと間延びしてしまいました。  家族で行きましたが、面白かったです。ぐっさんがいい味出してましたね。賢かったのかな?なかなかの曲者ですのぉ~

26 位  高知城  山内 一豊  現存12天守の一つ       

天守から踊り場をぐるり出来るのはここと犬山城だけみたいですね。ライトアップも綺麗です(日本3大夜城) このライトアップも始まりは地元クラブのママが(地元の誇りと)始めたことみたいですね。

25 位  静岡県  駿府城 家康       

富士山(不死の山)が見えるとこで という事で、晩年家康が過ごした城ですね。    

近年、家康が建てた天守と違う場所から天守台が発見されたみたいです。金箔瓦が330点も見つかったとの事。

24 位  長野県  上田城  真田 昌幸       

難攻不落、守備機能が凄かったようですね。今年の年始に見てきました! 城の周りも結構な距離で高台になってましたね。なるほどな~!と物思いにふけってしまった。       

1585年 第1次 上田合戦 7000 VS 2000       

1600年 第2次 上田合戦 38000 VS 3000

23 位  石川県  金沢城  前田 利家       

センス抜群の前田家が美にこだわったお城だそうです。行けば綺麗で壮大な外見に圧倒されます。       

(金沢漆器) 華麗で精密  

(加賀友禅) 着物  

(金沢箔) 金箔の99%が金沢産      

 壁 : 金沢城全てがデザイン性を重視した海鼠壁(なまこかべ)で出来ている。       

白い瓦 : 鉛瓦(戦になれば鉄砲の弾に)  酸化すれば白く時代が違う

石垣 : 石垣の博物館(利家)野面積み(焼失後)切り石積み                    

(玉泉院丸庭園)色紙短冊積=長方形の石を縦積強度よりも景色重視した

22 位  沖縄県  今帰仁城(なきじんぐすく) 世界遺産 北山王       

石灰岩でできた曲線美な城壁 まるで万里の長城    

21 位  愛媛県 松山城  加藤 嘉明        

標高が高く、ロープウェイで登って行きます。       

重要文化財(隠門・野原櫓・戸無門等)が21棟あり、日本でも3位(1位姫路城・2位二条城)   

20 位  島根県 松江城  現存12天守の一つ 国宝 堀尾 吉晴       

城下町が残り風情があります。13 m ある石垣は迫力あり。

松江城にしかない柱がある。「包板」と言い、当時は天守や築城ブームの真っただ中、材料不足と低コストであった事もあり、柱の上からさらに板を当てがい杭で止めて補強した。天守の308本柱130本がそうらしいです。

19 位  岡山県 備中松山城 現存12天守の一つ 秋庭三郎重信        

標高430mにある山城。ちょっとした登山気分で行かないと大変なことに。 10月~12月、早朝と日中の気温差の頃よいとき雲海が見られる。

18 位  岐阜県 郡上八幡城  遠藤 盛数       

日本三大盆踊り(郡上踊り)が夜通し行われる。

17 位  北海道 根室半島 チャシ跡群 16~18世紀ころ アイヌ民族が建てた砦       

「日本100名城」にある1番目。レアである。道内には約500か所のチャシがあるが、見学できるのは二か所だけである。貿易拠点であり、戦いの砦でもあった。

16 位  福島県 会津若松城(鶴ヶ城) 葦名 直盛       

NHK「八重の桜」の舞台。伊達→上杉→松平 戊辰戦争の時に実に8000発の砲弾から耐え抜いた実にタフな城。白虎隊も有名。旧幕府軍の中核を担っていた会津藩、約1か月の篭城戦を繰り広げた。   城内で見つかった「ゆがんだ銃弾」は、溶かして再利用していた切迫した状況を物語っている。  明治に天守は一度壊されたが、昭和40年に再建された。       

15 位  愛知県  犬山城  現存12天守の一つ 国宝 織田 信康(信長の叔父)        

信長・秀吉・家康が欲しがった城としても有名です。木曽川を港とし物流の拠点であった。 2004年まで個人が所有していたらしいです。       柱梁は特殊な削り方で、「ちょうな」を使い削っている。  

1565年 織田家身内の戦い。南の川向伊木山に信長が陣取り、東の寺と南側から攻撃。  わざと北側を包囲せず開くことでそこから敵を逃がした。(孫子の兵法)       

秀吉  人脈を生かした奇襲攻撃    川幅400mの天然の堀、鵜飼の船を買収し、池田恒興・犬山元城主を寝返らせ抜擢。            80mの崖(切岸-人工的に削り取った防御壁)を登り攻撃。元城主が居たから隠し道があったのかも。       

家康  圧倒的な軍事力と兵力で無傷の勝利    関ヶ原直前ということもあり、10万の兵力で攻めた。

14 位  滋賀県  安土城  1579年 信長       

6階下1階 3階は吹き抜け 2階には能舞台 3階には渡り廊下もあった   180mの大手道の石段は「天皇の道」と呼ばれ一般市民は通ることを許されていなかったらしい。    仁王門(重要文化財)

13 位  神奈川県  小田原城  1400年 大森氏 

北条家100年の居城   21万の秀吉軍も攻めあぐねた鉄壁の要塞。   「総構」という構造で、周囲9kmの街全体が要塞となっていた。       

12 位  滋賀県  彦根城  現存12天守の一つ 国宝 1606年 井伊 直継・直孝        

飾り屋根(破風はふ)が18有り優美な城。    見た目とは裏腹に、最強防衛機能を持つ城。 関ヶ原の戦い以降、西国の大名ににらみを利かす為に監視役として家康が監修した。    戦いの城       

①魔の登り坂道–正面には櫓があり、段差や歩幅の違う石階段       

②突然現れる袋の鼠広場(大堀切)3方向から攻められる。       

③天秤櫓–落とし橋 本丸へと続く木造の橋。落とすとかなりの高さがあり容易には登れない。       

④天守には外からは見えなく施した隠し狭間が82か所もある。

11 位  江戸城  1556年 太田 道灌  現皇居       

敷地はもちろん日本最大 東京ドーム50個分230ヘクタール(大阪城106・仙台44・名古屋35)  風化しにくく耐火性のある「伊豆石」で出来ている。今も伊豆には「残念石」として残っている。       

10 位  青森県  弘前城  現存12天守の一つ 1810年 津軽 信枚       

正面から見た城(破風3つ)の情景と、背面から見た情景(破風無し)が異なる。  石垣修繕に天守を移動した。「曳屋」500年以上続く伝統建築工法。70m移動に2ヵ月を要した。

9 位  京都府  二条城  国宝 世界遺産  1603年 家康      

大政奉還を発令した場所。震災により外れた金具(菊)の下から葵の紋(徳川家)が出た。      

8 位  北海道  五稜郭        

海外の城郭をモデルに星形が特徴的。 先端を「稜堡」と言い、死角が無い。

7 位  兵庫県  竹田城  1443年 山名 宗全       

雲海で有名な城跡。雲海は、晩秋10月日の出~8時頃が時期。標高353.7m。日本のマチュピチュ

6 位  愛知県  名古屋城 1610年 家康       

天守閣の述べ床面積が日本一。金のしゃちほこ。三尺の透かし堀欄間–下からの眺めが一番になるように 計算され斜めに彫られている。装飾金具–たがね手打ち 職人達が400年前の姿を10年(130億)かけて復元した。       

5 位  沖縄県  首里城  世界遺産 1200年後~1300年 尚 巴志 王      

中国・日本・琉球のミックス建造物。      

守礼門—中国「三間牌楼」がモデル   

稚児柱—赤い屋根瓦は厳島神社がモデル      

石垣—サンゴ石灰岩      

彫刻—龍の爪ふつうは3本 中国皇帝の龍は5本爪 首里城正殿の龍は4本爪(中国に気を使ったとも)      

玉陵(たまうどうん)—国宝 国王墓

4 位  熊本城  1590年 加藤 清正      

石垣20mの剃り返り(武者返し)が見事。      2019年10月5日から天守付近まで観光出来るように。2027年完全復興を目指す。

3 位  長野県 松本城 現存12天守の一つ 国宝 1593年 石川 数正・康長       

娯楽施設(家光の月見櫓)が増築されたお城。毎年保持のため塗り替えを行っている。         

2 位  大阪城  1583年秀吉       

石垣—32mは日本一  敷地面積はドームの22個分        

豊臣政権没後、2代秀忠が築城  秀吉の頃の大きさからすると4分の1の大きさです。

1 位  兵庫県  姫路城(白鷺城) 世界遺産 国宝 現存12天守の一つ 1609年 池田 輝政      

8の建造物が国宝であり、74が重要文化財。          

日本の名城巡りの旅

最初で最後になるかもしれない6日間に19の城を巡る観光を決行することにしました。 大阪堺市からスタートです!

4月28日

岐阜県  大垣城

       墨俣一夜城

       岐阜城

愛知県  犬山城

       小牧城

       清州城

         名古屋城

        岡崎城

       吉田城

29日

静岡県   浜松城

       掛川城

        小山城

       駿府城

 30日

神奈川県   小田原城

東京都   江戸城(皇居)

5月1日

栃木県    日光東照宮

       日光江戸村

 2日

福島県  会津若松 鶴ヶ城

群馬県  沼田城跡

 3日

長野県  松本城

滋賀県  彦根城

 車で回ります! 中でも東照宮と江戸村へ行くことが今回の目的であり 一番の楽しみでもあるので、新幹線や夜行バス、飛行機で成田経由 等もありますが、あえて勿体ぶって、付加価値が付くように 4日間かけてたどり着くことにしました! 日中はなるべく下道を走り、地域の景色なども楽しみ、 お腹が減ったらその辺で食べる。 いつどこに居てるのか見当も付かないので、宿もその辺りで探す。 若しくは車泊になるかも。 すごい贅沢な休日になるね。 往復で約1700km  走り続けたとしても 40時間 これでもまだまだ行きたい所があるので、次回の連休は 大阪より西を目指し予定を組んで行きたいと思っております。 また帰って来たら結果や写真をアップしたいと思っておりますので、 お楽しみに! 早くにくじけて引き返して来たらすみません・・・・・ 5月の連休明けを楽しみに!