萩城

次に行きたいところは 山口県 萩市 

萩 城  は 明治6年(1873)の廃城令で取り壊されたんだって

天然の外堀に囲まれた 堅固な城郭都市

萩は戦国時代までは 阿武川下流の河口に形成されつつあった 三角州だったみたい

砂地と葦原に覆われた 寒村にすぎなかったみたいです。

関ヶ原の合戦で 西軍の大将に担ぎ上げられ 何もしないうちに 敗軍の将となった 毛利 輝元 は、防長二州に押し込められた。

新たな本拠地を探すのに、本来なら領地の中心である山口か、 山陽路で利便性の高い防府に新しい城を築きたかったが、

幕府はもっと不憫な萩を押し付けた

ただ萩は防衛的には最高の立地で、北は海 橋本川と松本川にはさまれた天然の要塞 城郭都市だったみたい。

町並みもたくさんの興味深い場所が残っていて、今一番行ってみたい場所ですね。

日本最強の城スペシャル

「あなたも絶対行きたくなる 日本最強の城 スペシャル」

見ましたか? 見逃した人の為に 書きます!

まず 「フォトジェネックな城 編」  (写真写りの良い様)

① 大阪城 見事な石垣が残る城  

今 皆さんが 目にしているのは 秀吉 時代の城ではなくて、 徳川時代の城である。

秀吉時代の城と、石垣を全て埋めてしまい、新しく 徳川が城を 建てることで 政権が変わったんだ ということが 分かりやすいという事

桜門 から入ったところに 蛸石(たこいし)がある 重さ108トン 畳 36畳分の大きさ

他にも「大手見付石」 29畳分 熊本 加藤家   

「肥後石」 33畳分 岡山 池田家

このような 大きな岩は 各大名が 徳川幕府にアピールするためにあつらえたとされる

このような大きな原石は 岡山県犬島 から運ばれたもの 花崗岩 である

全国を回る 城郭の写真家は 西側のお堀端からの写真ポイントをお勧めする

大阪城の 石垣に使われている石の数は 約 100 万個

秀吉時代の 野面積みの 石垣は 城内に設けたトンネル内 約7m地下で発見されている

② 弘前城  青森県弘前市 みちのくの麗しき名城 現存天守

津軽平野の真ん中に位置し 9棟の重要文化財がある

本来は 朱色の橋の上から撮るのが 定番だが

現在 石垣の補修のため 400トンある天守を最新の技術で移動している

落雷により天守を失う事になった。 

再建を幕府に申し出るも認められず。

弘前藩は 蝦夷地で警備を任される。 

度々やってくるロシア船の警戒のために再建の許しが出た

予算を切り詰めるために 天守正面は豪華に 裏へ回ると質素な作りとなってしまった。

天守の表は5つの破風で飾られ 瓦は寒さに強い 銅瓦(木製の屋根に銅版) を使用している 

現在の写真ポイントはバックに荒木山を入れて撮るのがベスト

ゲストの高橋英樹さんは 雪景色もいいですが、「私は秋の真っ赤なもみじが最高」 との事ですね

③ 明石城 JR 明石駅から徒歩5分  400年前の城 

二つの三重櫓がとても魅力 巽櫓 と 坤櫓(ひつじさる)朱色の格子がある

フォトポイントは 櫓下から斜めに二つの櫓とさらに階段と石垣が入るポイントである

この二つの三重櫓は共に同じ方向を向いていない

巽櫓は 南 を向き明石海峡を渡ってくる 船 を監視

坤櫓は 西 を向き姫路から山陽道を歩いてくる敵を 監視する為である

天守の台座も西に備えたが 建つことはなかった  

明石駅の ホームから正面に見えるので趣がある

MCの 恵 さんが「天守は無いんですね。」 の 一言に お城大好きな ゲストの 春風亭 昇太 さんが反応して 「あのね、こんだけお城の歴史があったとしたら(手を1mほど広げて) 天守閣の時代って こんなものよ(指で2cm位)」 「天守閣はシンボル 権力の象徴 平安になれば倉庫や武器庫になった」

④  岡 城 大分県竹田市 標高325m 東西2.5km

随所に 色んな石垣がみごとな山城 

瀧廉太郎「荒城の月」のモデルになった城とも

まず大手門では形の違う石を巧みに積んでいる 

アーチ状に積んでいるところも 道も曲線に 弧を描くように 作られている  

曲線美を重視したようです 中南米の古代遺跡を思わす形状 

藩主が暮らしていた 御殿前 は幅20mの石段でスロープのように(西の丸石段)

なんといっても 20m の高さを誇る 石垣 が見事 天空の要塞 である

屏風のような段差を用いて積み上げられており 2方向からの攻撃を可能としている

当時は藩主や武家屋敷なども同じく建ち、そこで生活していた大変珍しい山城

建物は 明治に入り解体されたが、阿蘇山の見える大自然は今も変わらない

城を東へ降りていくと、火砕流で出来た岩が魅力的な川がある 9万年前に 阿蘇山の 火砕流が 川に流れ込み、固まったもの。

火砕流で出来た岩は 縦に割れる 性質を持つ この岩は 加工しやすく 岡城建設に大きく役立った

⑤  滝山城  東京都八王子市 トラップ満載の土塁の城

城作りの名手 北条氏の居城 かの武田信玄も落とせなかったと言う

土塁や堀、竹林等で屈折した道 迷路のように 仕上げた城

場所によっては20mからなる土塁 関東ローム層で出来ており かなり登りづらい

横堀 障子掘 三重堀 などが ふんだんに駆使されている縄張りは 最高傑作

本丸へ通じる橋は 引き込めるようになっている

⑥  原 城  長崎県南島原  2018年 世界遺産に登録されている 

キリシタンの要塞として 天草一揆を起こした城 後ろは潮の流れが速い海

正面は現在は無いが高石垣で守られていた。その先は湿地帯となっていた。

後ろの 池尻門は 海へと続く隠し通路となっていた。

食料の補給や 壮大な計画として ポルトガル軍への応援要請も 行っていた

だが応援は来ず、27000人 VS 幕府軍はその4倍近く  3か月で落城した

⑦  五 稜 郭  北海道函館 西洋式城郭 函館の真ん中に位置する 

当時最先端の軍事要塞

土方歳三率いる旧幕府軍 VS 明治新政府軍

当時 徳川幕府の奉行所が置かれていた(函館奉行所)

西洋の船が行きかう中、西洋の城で対抗しようと考えていた

衝撃に強く、補修も容易な 高低差のある 二段土塁 で覆われている

稜堡(りょうほ)5角形の先端からは挟み撃ちの様に 二方向から攻撃できる

半月堡 を設け 十字砲火で攻撃ができる

当初 5か所に 半月堡を設ける予定であったが 予算の関係で1か所とした

もう一つの誤算は 太鼓櫓である 16.5mある櫓は 見渡せるると同時に 港からも容易に発見された

最新式の大砲で攻撃を受け 要塞は降伏を余儀なくされた

結局最後に 1位 として 選んだのは 岡 城 でした!!

私もそう思います。   大分県か・・・ 行ってみたいですね。

この番組で 土塁 土の城 ってものを 再確認することになりましたね

石垣であったり、天守であったりは やっぱり シンボル権力の象徴やね

でもそれが魅力やねんなぁ     

もっともっと こういう番組で 見たことない 雑誌なんかにも載らない城を紹介してほしいな 意外と近くに あるかもね!

最後まで 長々と目を通して頂き ありがとうございました

戦国城下町 岐阜

岐阜城天守—–金華山山頂にそびえる3層の天守           

       明治43年に復興天守が建てられるが昭和18年に焼失            昭和31年に再度建設された

信長公居館跡—–金華山の西麓に建設された信長公の居館跡。             これまでの発掘調査で、多くの庭園遺構が発見されており、多くの重要人物のおもてなしが行われていた。            

川原町のまちなみ—–信長公の時代より、長良川の水運を活かした商業の拠点として賑わいを見せていた。白木の格子戸が残る町屋が軒を連ねている。

長良川中流における岐阜の文化的景観—–長良川・金華山・町が一体となった岐阜市の原風景とも言える身近な景観。町割りは戦国時代にさかのぼる。岐阜城復興天守が建つと、天守が見える位置に本座敷や茶室を設け、客人をもてなした。

岐阜大仏(正法寺)—–日本三大仏の一つで、県重要文化財に指定されている。竹を編んだ骨組みに粘土や経文を張り、漆喰と金箔で仕上げられる珍しい大仏。高さ13.7m、別名「かご大仏」

伊奈波神社—–天文8年(1539) 斉藤道三が今の場所に移設したとされる。毎年4月に 「岐阜まつり」が開催される。

善光寺—–信長公の嫡男 信忠により 信濃 善光寺の如来像が移設されていた時期もあったと言う。山科言継も訪れた 岐阜城下町の名所。

法華寺—–信長公が岐阜城に入城した後、清須から移転したと伝えられる。山科言継が岐阜滞在中にここを訪れた。

妙照寺—–俳人 松尾芭蕉が逗留した寺。約1ヵ月の滞在中、ここを拠点として金華山や鵜飼見物に出かけた。

後楽荘—–広大な日本庭園を有する料理旅館 明治時代以降 金華山と岐阜城を望む座敷で客をもてなす。

鵜飼観覧船造船所—–鵜飼観覧に使われる木造船は、専門の船大工によってここで建造される。

長良川の鵜飼い—–1300年以上の伝統を継承した漁法。信長公も「おもてなし」として客人を鵜飼観覧に招いたとされる。鵜匠は宮内庁式部職鵜匠に任じられている。

戦国武将事典 乱世を生きた830人

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

掲載武将数830人!全78の大名家ごとに読める武将事典。

生年・没年順索引や掲載武将の城主変遷データつき。

【目次】(「BOOK」データベースより)

北海道・東北地方/関東地方/甲信越地方/東海地方/近畿地方/中国地方/四国地方/九州地方

【著者情報】(「BOOK」データベースより)

吉田龍司(ヨシダリュウジ)

文筆家。京都市出身。

1989年都留文科大学文学部卒。

元証券・経済専門紙デスク。

2002年よりフリーになってからは、おもに歴史、経済、サブカル方面で活躍。

記者生活での豊富な取材経験を生かし、古城・古戦場のフィールドワークや各種文献の調査などを好む

相川司(アイカワツカサ)

歴史、ミステリ評論家。

日本推理作家協会員。

1951年東京生まれ。

1973年早稲田大学卒業

川口素生(カワグチスナオ)

歴史研究家(専攻は戦国・江戸時代)。

昭和36年(1961)岡山県生まれ。

岡山商科大学商学部、法政大学文学部史学科卒業。

法政大学名誉教授・村上直博士に師事

清水昇(シミズノボル)

歴史作家・日本文藝家協会会員。

昭和19年(1944)群馬県生まれ。

陰の忠臣、播州赤穂浅野家の逐電家老「大野九郎兵衛」の研究をライフワークとする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

自分の 先祖 載ってないですか?

図解戦国の城がいちばんよくわかる本 基本的な仕組みから縄張り図の読み方まで

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

土の城がわかれば戦国時代はもっと面白い!

今すぐ歩けるビギナー向け戦国の城リスト28。

【目次】(「BOOK」データベースより)

戦国の城を攻める・守る/

1 戦国乱世は城だらけ/

2 城の仕組み/

3 城を築く/

4 城と戦い/

5 城の歩き方・楽しみ方/

6 縄張り図の読み方

【著者情報】(「BOOK」データベースより)

西股総生(ニシマタフサオ) 1961年、北海道生まれ。

学習院大学文学部史学科卒業。同大学院史学科専攻・博士課程前期課程卒業。目黒区教育委員会嘱託、三鷹市遺跡調査委員会、(株)武蔵文化財研究所を経て現在フリー・ライター。城館史料学会、中世城郭研究会、日本考古学協会会員。城郭・戦国関係の雑誌記事・論考、調査報告書など多数執筆。2016年大河ドラマ『真田丸』では戦国軍事考証を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

全国有力武将の御朱印、期間限定レア御朱印、御朱印帳を一挙紹介

戦国武将ゆかりの神社とお寺でいただく御朱印ハンドブック。 信長・秀吉・家康。三英傑たちの魂が宿る御朱印、歴女に人気の全国有力武将の御朱印、期間限定レア御朱印、御朱印帳を一挙紹介します。 また、御朱印入手ツアーの提案や約200種類の御朱印を紹介し、寺社データベースも公開します。

軽く 戦国史

【内容情報】(出版社より)

戦国時代といえば、応仁の乱を皮切りに全国の猛者が覇権を争うドラマティックな時代。

しかし、学校教育の場では年号の暗記や用語の説明ばかりで、この時代の「全体の流れ」を正しく語れる人は多くはありません。

本書では戦国時代の始めから終わりまでをイラストを用いてわかりやすく解説していくのでサクッと理解できます。

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【内容情報】(「BOOK」データベースより)

永遠のライバル武田信玄と上杉謙信。

織田信長の安土城の建設。

新参家臣明智光秀の底力。

主君の仇討ちに成功した豊臣秀吉…イラストだけでサクッと動乱の時代と背景がわかる!

【目次】(「BOOK」データベースより)

01 室町時代なくして戦国時代は語れない/

02 日本各地で勃興する戦国大名/

03 天下統一を狙う風雲児・織田信長/

04 織田信長が率いた最強家臣団/

05 波瀾に満ちた豊臣秀吉の半生/

06 戦国の世を制した徳川家康/

07 戦国史を読み解く予備知識

【著者情報】(「BOOK」データベースより)

小和田哲男(オワダテツオ) 1944年、静岡市に生まれる。

1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。

2009年3月、静岡大学を定年退職。静岡大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

戦国史 好きやけど どの辺から話すべきか

小和田先生 の 本なら 間違いないよね