岐阜城天守—–金華山山頂にそびえる3層の天守
明治43年に復興天守が建てられるが昭和18年に焼失 昭和31年に再度建設された
信長公居館跡—–金華山の西麓に建設された信長公の居館跡。 これまでの発掘調査で、多くの庭園遺構が発見されており、多くの重要人物のおもてなしが行われていた。
川原町のまちなみ—–信長公の時代より、長良川の水運を活かした商業の拠点として賑わいを見せていた。白木の格子戸が残る町屋が軒を連ねている。
長良川中流における岐阜の文化的景観—–長良川・金華山・町が一体となった岐阜市の原風景とも言える身近な景観。町割りは戦国時代にさかのぼる。岐阜城復興天守が建つと、天守が見える位置に本座敷や茶室を設け、客人をもてなした。
岐阜大仏(正法寺)—–日本三大仏の一つで、県重要文化財に指定されている。竹を編んだ骨組みに粘土や経文を張り、漆喰と金箔で仕上げられる珍しい大仏。高さ13.7m、別名「かご大仏」
伊奈波神社—–天文8年(1539) 斉藤道三が今の場所に移設したとされる。毎年4月に 「岐阜まつり」が開催される。
善光寺—–信長公の嫡男 信忠により 信濃 善光寺の如来像が移設されていた時期もあったと言う。山科言継も訪れた 岐阜城下町の名所。
法華寺—–信長公が岐阜城に入城した後、清須から移転したと伝えられる。山科言継が岐阜滞在中にここを訪れた。
妙照寺—–俳人 松尾芭蕉が逗留した寺。約1ヵ月の滞在中、ここを拠点として金華山や鵜飼見物に出かけた。
後楽荘—–広大な日本庭園を有する料理旅館 明治時代以降 金華山と岐阜城を望む座敷で客をもてなす。
鵜飼観覧船造船所—–鵜飼観覧に使われる木造船は、専門の船大工によってここで建造される。
長良川の鵜飼い—–1300年以上の伝統を継承した漁法。信長公も「おもてなし」として客人を鵜飼観覧に招いたとされる。鵜匠は宮内庁式部職鵜匠に任じられている。