現存12天守閣【電子書籍】[ 山下景子 ]
日本の城に初めて天守が出現したのは織田信長が天下統一を目指していた頃。関ヶ原の戦い後には築城ラッシュを迎え、防御拠点として、また権力の象徴として、記録に残るだけでも優に百を超える天守が日本全国に点在した。まさに天守は城の顔といえた。その後、戦乱の荒波や江戸幕府の一国一城令、さらには明治維新後の解体撤去、災害、戦災によって今や現存はたった12。奇しくも残った12城をぶらり探索。城の歴史や見所を詳述。
女性の目線で記述。これを読むと「よくここまで残っていてくれた!有難う!」という気持ちにさせられます。
私としては、堀や石垣も見事ですが、やはり城郭あっての居城と思いますので。
徳川家 11代当主が語る 真田家とのつながり
徳川家が見た「真田丸の真実」【電子書籍】[ 徳川宗英 ]
【内容情報】(出版社より)
因縁の徳川家と真田家だが、じつは真田幸村は家康の二重スパイだった!? 田安徳川家・第11代当主が語る「大坂の陣」の真相とは?
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
真田幸村は死後、英雄視され、庶民の願望に沿って話がつくられていった。いまわれわれに伝えられていることと実際は違ったのではないか、と著者は考える。幸村はほんとうに徳川の敵だったのかー、著者は「じつは味方だったかもしれない。そう考えられることがいくつもある」という。真田父子が徳川将軍を二代にわたり翻弄した上田合戦の真相に触れ、関ヶ原の戦いで真田父子はなぜ袂を分かったのか、そのとき家康がめぐらせていた壮大な深謀遠慮とは何だったのかを探る。真田一族と徳川・諸大名との有名なエピソードから、意外なつながりまで網羅。徳川家と真田家の因縁を、徳川家の視点から検証する。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 上田合戦の真相(沼田を誰が支配するか/支配者を失った甲斐・信濃は草刈り場に ほか)/第2章 関ヶ原は頭脳戦(秀吉死して、家康動く/「敵の敵は味方」という発想 ほか)/第3章 大坂冬の陣ー真田丸の激闘(豊臣政権復活の可能性をゼロに/方広寺鐘銘事件は「徳川の言いがかり」ではなかった ほか)/第4章 大坂夏の陣ー家康の首は無事だったのか(戦の前に息子の結婚式に出席した家康/壮絶な最期を遂げた又兵衛、豊臣の軍勢は総崩れ ほか)/第5章 秀頼亡命伝説と幸村の子供たち(大坂落城後、遺体がなかった秀頼は薩摩で生きていた!?/大酒飲みの秀頼、谷山の食い逃げ伝説 ほか)
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
徳川宗英(トクガワムネフサ)
作家/田安徳川家・第11代当主。1929年、英国ロンドン生まれ。慶應義塾大学工学部を卒業後、石川島重工業(株)に入社。アイエイチアイエンジニアリングオーストラリア社長、石川島播磨重工業(株)理事、関西支社長、石川島タンク建設(株)副社長を歴任。95年に退職したのち、静岡日伊協会名誉顧問、全国東照宮連合会顧問、一般社団法人霞会館評議員、一般社団法人尚友倶楽部監事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
より重量感のある模造刀
『居合刀』【武将シリーズ】居合刀 徳川家康 ソハヤノツルギ拵【居合道 居合 居合刀 模造刀】
居合刀 武将シリーズ!
天下を取った三大武将(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)
戦国時代に三河国岡崎に生まれ、人質として忍従の日々を過ごすが、桶狭間の戦いで今川義元を討った後、織田信長の盟友(事実上は客将)として版図を広げ、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、その混乱に乗じさらに勢力を広げた。豊臣秀吉との小牧・長久手の戦いを経て秀吉に従い、豊臣政権の五大老筆頭に列せられるが、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで勝利し、朝廷から征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開いた。その後、大阪冬の陣と夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、没後は江戸時代を通じて、御家人・旗本には[神君]、[東照宮]、一般には[権現(様)]と呼ばれた。
当居合刀は強固で重量感のある真鍮刀身にて作製されております。
また、刀身に添え樋を入れる事でより真剣に近い風格を持たせております。
刀
毛利輝元陣刀 小烏丸刀身 大刀 【日本刀 HG-10・模造刀・美術刀】
枕元に一振り備えれば、あなたを災いから救ってくれるかもしれません。またあなた自身も身が引き締まる事でしょう!
いつもいつも見守ってくれている お守り じゅづ
本格派 存在感&重量感抜群 戦国武将七人衆 金彫り家紋数珠ブレスレット 金彫家紋オニキス 黒龍紋 天然石 風水 パワーストーン
群雄割拠の戦国を生き残り、その名を今日まで残してきた運をその身に宿して下さい。