「あなたも絶対行きたくなる 日本最強の城 スペシャル」
見ましたか? 見逃した人の為に 書きます!
まず 「フォトジェネックな城 編」 (写真写りの良い様)
① 大阪城 見事な石垣が残る城
今 皆さんが 目にしているのは 秀吉 時代の城ではなくて、 徳川時代の城である。
秀吉時代の城と、石垣を全て埋めてしまい、新しく 徳川が城を 建てることで 政権が変わったんだ ということが 分かりやすいという事
桜門 から入ったところに 蛸石(たこいし)がある 重さ108トン 畳 36畳分の大きさ
他にも「大手見付石」 29畳分 熊本 加藤家
「肥後石」 33畳分 岡山 池田家
このような 大きな岩は 各大名が 徳川幕府にアピールするためにあつらえたとされる
このような大きな原石は 岡山県犬島 から運ばれたもの 花崗岩 である
全国を回る 城郭の写真家は 西側のお堀端からの写真ポイントをお勧めする
大阪城の 石垣に使われている石の数は 約 100 万個
秀吉時代の 野面積みの 石垣は 城内に設けたトンネル内 約7m地下で発見されている
② 弘前城 青森県弘前市 みちのくの麗しき名城 現存天守
津軽平野の真ん中に位置し 9棟の重要文化財がある
本来は 朱色の橋の上から撮るのが 定番だが
現在 石垣の補修のため 400トンある天守を最新の技術で移動している
落雷により天守を失う事になった。
再建を幕府に申し出るも認められず。
弘前藩は 蝦夷地で警備を任される。
度々やってくるロシア船の警戒のために再建の許しが出た
予算を切り詰めるために 天守正面は豪華に 裏へ回ると質素な作りとなってしまった。
天守の表は5つの破風で飾られ 瓦は寒さに強い 銅瓦(木製の屋根に銅版) を使用している
現在の写真ポイントはバックに荒木山を入れて撮るのがベスト
ゲストの高橋英樹さんは 雪景色もいいですが、「私は秋の真っ赤なもみじが最高」 との事ですね
③ 明石城 JR 明石駅から徒歩5分 400年前の城
二つの三重櫓がとても魅力 巽櫓 と 坤櫓(ひつじさる)朱色の格子がある
フォトポイントは 櫓下から斜めに二つの櫓とさらに階段と石垣が入るポイントである
この二つの三重櫓は共に同じ方向を向いていない
巽櫓は 南 を向き明石海峡を渡ってくる 船 を監視
坤櫓は 西 を向き姫路から山陽道を歩いてくる敵を 監視する為である
天守の台座も西に備えたが 建つことはなかった
明石駅の ホームから正面に見えるので趣がある
MCの 恵 さんが「天守は無いんですね。」 の 一言に お城大好きな ゲストの 春風亭 昇太 さんが反応して 「あのね、こんだけお城の歴史があったとしたら(手を1mほど広げて) 天守閣の時代って こんなものよ(指で2cm位)」 「天守閣はシンボル 権力の象徴 平安になれば倉庫や武器庫になった」
④ 岡 城 大分県竹田市 標高325m 東西2.5km
随所に 色んな石垣がみごとな山城
瀧廉太郎「荒城の月」のモデルになった城とも
まず大手門では形の違う石を巧みに積んでいる
アーチ状に積んでいるところも 道も曲線に 弧を描くように 作られている
曲線美を重視したようです 中南米の古代遺跡を思わす形状
藩主が暮らしていた 御殿前 は幅20mの石段でスロープのように(西の丸石段)
なんといっても 20m の高さを誇る 石垣 が見事 天空の要塞 である
屏風のような段差を用いて積み上げられており 2方向からの攻撃を可能としている
当時は藩主や武家屋敷なども同じく建ち、そこで生活していた大変珍しい山城
建物は 明治に入り解体されたが、阿蘇山の見える大自然は今も変わらない
城を東へ降りていくと、火砕流で出来た岩が魅力的な川がある 9万年前に 阿蘇山の 火砕流が 川に流れ込み、固まったもの。
火砕流で出来た岩は 縦に割れる 性質を持つ この岩は 加工しやすく 岡城建設に大きく役立った
⑤ 滝山城 東京都八王子市 トラップ満載の土塁の城
城作りの名手 北条氏の居城 かの武田信玄も落とせなかったと言う
土塁や堀、竹林等で屈折した道 迷路のように 仕上げた城
場所によっては20mからなる土塁 関東ローム層で出来ており かなり登りづらい
横堀 障子掘 三重堀 などが ふんだんに駆使されている縄張りは 最高傑作
本丸へ通じる橋は 引き込めるようになっている
⑥ 原 城 長崎県南島原 2018年 世界遺産に登録されている
キリシタンの要塞として 天草一揆を起こした城 後ろは潮の流れが速い海
正面は現在は無いが高石垣で守られていた。その先は湿地帯となっていた。
後ろの 池尻門は 海へと続く隠し通路となっていた。
食料の補給や 壮大な計画として ポルトガル軍への応援要請も 行っていた
だが応援は来ず、27000人 VS 幕府軍はその4倍近く 3か月で落城した
⑦ 五 稜 郭 北海道函館 西洋式城郭 函館の真ん中に位置する
当時最先端の軍事要塞
土方歳三率いる旧幕府軍 VS 明治新政府軍
当時 徳川幕府の奉行所が置かれていた(函館奉行所)
西洋の船が行きかう中、西洋の城で対抗しようと考えていた
衝撃に強く、補修も容易な 高低差のある 二段土塁 で覆われている
稜堡(りょうほ)5角形の先端からは挟み撃ちの様に 二方向から攻撃できる
半月堡 を設け 十字砲火で攻撃ができる
当初 5か所に 半月堡を設ける予定であったが 予算の関係で1か所とした
もう一つの誤算は 太鼓櫓である 16.5mある櫓は 見渡せるると同時に 港からも容易に発見された
最新式の大砲で攻撃を受け 要塞は降伏を余儀なくされた
結局最後に 1位 として 選んだのは 岡 城 でした!!
私もそう思います。 大分県か・・・ 行ってみたいですね。
この番組で 土塁 土の城 ってものを 再確認することになりましたね
石垣であったり、天守であったりは やっぱり シンボル権力の象徴やね
でもそれが魅力やねんなぁ
もっともっと こういう番組で 見たことない 雑誌なんかにも載らない城を紹介してほしいな 意外と近くに あるかもね!
最後まで 長々と目を通して頂き ありがとうございました